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勤務

  • 執筆者の写真: チップ
    チップ
  • 2020年8月17日
  • 読了時間: 2分

会社では当時「最初に証券事務を経験してから運用セクションへ送る」という新人育成カリキュラムがあった。そのためこの時点で私も何らかの運用に携わる将来が決定したことになる。


とは言え先ずはバブル真っただ中の事務部門での勤務である。私の部署は外国株の事務だったためそこまで繁忙という訳ではなかったが、付随して日本株部門の手伝い等にも駆り出されたことで月の残業時間は100時間超えも珍しくなかった。

レアな体験としては「株券の棚卸」というのがあった。当時はまだ株券現物の受け渡しが主流で、受託機関である信託銀行には顧客資産の株券が大量に保管されていた。期末にその現物と記録の照合を行うのである。株券に触れられるだけでもなかなか刺激的であるが、更に「×TTの株券が足りないぞ!!」といった怒号が飛び交う更に刺激的なイベントにも遭遇した(結末は下々には知らされず)。


入社まで株のことなど全く知らなかった私も、この頃になると「ファンドマネージャー」という仕事の響きに強烈な憧れを抱き始めていた。


1フロアぶち抜きのほのかに薄暗いディーリングルーム、そこで間断なく点滅する巨大な株価ボード、時折発せられるディーラーの緊迫したやり取り、、その一角で様々な情報モニターに囲まれ今後の運用戦略を練る自分。。カッコイイ、カッコ良すぎる。


この証券管理部には4月先行組を含め10名ほどの同期が配属になっていた。

早い者は3ヶ月、平均的にも半年くらいで投資顧問部や年金運用部といった前線へ次々と送られていく。皆一様に期待で目を輝かせていた。

しかし私にはなかなかお呼びがかからず、事務生活もそろそろ1年にならんとしていた。不安が頭をよぎる。

「ああ、自分の几帳面な性格が事務に向いてると判断されたのかな・・いやあの時の宴会で課長のモノマネやり過ぎたのがまずかったのか・・」

しかし特に理由があった訳ではなかったようで、ほどなく私にも召集令状が届いた。異動先は資金企画部、会社のプロパー資金を運用する部署である。


「いよいよ俺様もファンドマネージャーか!!」

臆病風が一気に吹き飛び、一人称も傲慢になる。


しかし、実際に私がファンドマネージャーの任に着くにはそれから更に1年半を要するのであった。

 
 
 

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