新聞
- チップ
- 2021年11月15日
- 読了時間: 2分
外出の機会もなかなか増えないが、先日久しぶりに東京競馬場を訪れた。
限られた指定席をゲットし、絶好の小春日和の中ウキウキと向かったのだが、その道中改めて感じたのが、電車内で新聞を広げる違和感だ。
思えばここ何年も、朝刊などは自宅で読んでいたため車内に持ち込むことはなかった。ただ金曜の帰宅時には日刊ゲンダイや東スポなど、競馬面の充実したタブロイド紙を堂々と読んでいた。競馬面を読んでいると、裏側のエロい面が対面側に晒されることもあるがお構いなしだった。
新聞に関連する思い出も多い。中学時代包んでもらった新聞を読みながら弁当を食べたこと、隣席のオッサンが広げる新聞が鬱陶しくて払いのけたら険悪な雰囲気に包まれたこと、対面のオッサンが広げるスポーツ新聞の一面で「え、キャンディーズ解散?!」とショックを受けたこと、、どれも紙媒体ならではの思い出だ。
ここ数年感じてはいた。電車内で席に座り、ふと周りを見渡すとほぼ8割以上の人が「スマホ」、1割が「居眠り」、残りは「わからない、どちらとも言えない」といったところ。「不気味な光景だな」と思いつつ、自分は文庫本を読む。新聞も電子版としてスマホに収納されているのだろうが、デジタルディバイドの負け組としてはそんなものは読めない。
さて私の競馬場へのルートは、中央線の中野から西国分寺まで行き、そこで武蔵野線に乗り換えて府中本町で降りる。そこから競馬場までは直通の「専用通路」(別名「一般市民の皆さんからギャンブル客を隔離します通路」)。
中央線に乗る。開けない。競馬新聞を開けないよ。2年前まで何のてらいもなかったのに。カラフルな競馬新聞は目立ちすぎる。いや、分かってますよ、誰も俺のことなんか100%見てないって。でも自分の心の中の他人がささやく。「あ、アイツ電車の中で競馬新聞なんか読んでるよ!ウワァーー!」。さして読みたくもない文庫本を開く。
しかーし!武蔵野線に乗り換えれば話は別。週末のこの時間、西国分寺から府中本町までの区間はほぼ競馬客で占められるギャンブル電車のラストワンマイル。懐に温めていた競馬新聞を大きく広げてほっと一息つける。ここだけは以前と何も変わっていない。
ああ、至福の時だ。新聞に幸あれ。(修)
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