放し飼い
- チップ

- 2021年6月24日
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「ジャーディンフレミング投資顧問への出向を命ず」
が人事異動の内容だった。
「ジャーディン?地方勤務さえ恐れていた自分に海外?!いや、確か安田信託が出資してた投資顧問か、、てことは駅前留学?」
頭が混乱したが、要は香港のJFと安田信託が日本に創った合弁会社へFMとして出向するとのことで、既に私で3代目になるという。出向者は営業他に何人かいたが、多くはJFプロパーの社員であり運用では私だけ。10人程の運用チームの半分以上は外国人。
正直、嫌だった。僅か1年足らずの経験で外国の戦場に放り出された感じだ。
「ちょ待って、ください、、私TOEIC400点そこそこなんすけど。。」
ささやかな抵抗もしてみたが覆る訳もなし。
後年聞けばこの異動には我が師匠も渋ったらしいが、私にとっての財産となると考え了承したとのこと。しかし当時は親の心子知らず、「師匠、私を見捨てたのですね。。」と恨み節もあったが、25かそこらの若造は結局従うしかない。
そうして不本意な出向生活が始まったが、数日して私は気付いた。
「ここはパラダイスか!」
日比谷公園と帝国ホテルに近接したゆったりとしたオフィス、シェアながら優しいアシスタントの細やかなサポート、そして何といっても勤務を評価する直属の上司がいない(運用チームヘッドはいるがJFプロパー)。運用ファンド200億(!)はうるさい客もいないトレーニー用の贅沢なプロパー資金で、運用方針、銘柄選択、発注先証券会社、すべてこの若造に一任。後にも先にもこんな条件で運用したことはなかった。
もちろん思う存分腕を振るうべく一生懸命運用に向き合った。
ここで経験したことはその後の自分のFMとしての考え方の礎となった。今では当たり前だが「会社と直接会って話を聞き、重要な投資判断材料とする」というアクションは、決算説明などインフラが未成熟だった当時はパフォーマンスの大きな付加価値となった。自分で考えたアイデアを基にその裏付けを取り、その投資を実践して結果を出す。トライアンドエラーを繰り返しその精度を高めていく。
「はじめてのかいしゃほうもん」は今でも忘れられない。出向後すぐ、先輩の日本人から「ヘーイ、今から一緒に会社訪問行こう!」と軽いノリでまったく準備も出来ないまま連れていかれたジャスコだった。私はその先輩が会社側と問答するのを聞いていたが、彼は「今の店舗運営は効率があまりにも悪い!」「何でこんな田舎に店を作るのか?」など会社の耳が痛いことをまったくオブラートに包まず突いていくため、先方の機嫌が明らかに悪くなり、途中から先輩を見ずに私に説明をしてくるようになった。私は予習0だったしジャスコの店にほとんど行ったことがなかったため、「お店の商品は他店より安いんですか」など素人丸出しの質問を連発し先方は更におかんむり。気まずい状態のまま早々に終了となった。後味の悪いデビューではあったが、それでも会社の生きた情報を体感できることには興奮したし、これをコツコツ積み重ねていけば運用への付加価値だけでなく自分自身の血肉になると確信した。
が、一方でこの放し飼い状態を十分に自分で律していたかは疑問だった。
朝の寄付きには遅れることなく出社していたが、昼休みは同僚の外国人達の影響もあり2時間が基本。銀座のジムに行ったりすれば更に長くなった。何故か早帰りはほとんどしなかったが、3時の引け後はパチスロを打ったり、夏は芝区民プール、冬は日比谷の特設スケートリンクと季節に応じて積極的に活動した。
自覚はなかったが、気配りのないセールスに「吉村さんは月曜定休かと思ってましたよ、アハアハアハ」などと言われる体たらくも。そんなに月曜居なかっただろうか。
ゴルフにハマっていたのもこの頃だ。練習は勝どきや芝のレンジ(1箱800円)に行き、実戦は接待中心に富士桜や厚木キャンプ内のコースなど普通なら行けない所でもプレーした。「川奈で」という話もあったが、さすがに100を切れない身では行けなかった。
ほとんど良い事づくめだったが、数少ない、そして最大の障害が英語だった。

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