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鉄が舞い、船が飛ぶ

  • 執筆者の写真: チップ
    チップ
  • 2021年5月5日
  • 読了時間: 3分

1989年に入り、市場は宴の最高潮に達しようとしていた。意気揚々とプロパー資金の運用部に異動した私は「さあ、やってやるぞ!」と腕を撫していた。

ところがその部は「運用」「企画」の二つに分かれており、私は後者に配された。

「え、企画って何するん。。」

一般的に「企画」の実態はあいまいだ。形としては「○○を統括する」「××に提案する」など頭脳的でスマートそうな役割を付与されるが、実態は様々な部署の御用聞きや雑用まがいの仕事も多い。自分もいろいろと訳の分からない地味めの仕事を与えられたが、最も厄介な仕事が各資産のFMに今後の市場見通しなどを聞いてまとめることだった。いや、ちゃんと教えてくれるなら勉強にもなるし有難いんですよ。しかし当時のFMはとにかくお山の大将が多く、若造が尋ねてもまともに答えてくれる人はほとんどいない。


「忙しい」「後で」「適当に書いとけ」「うるせえ」「死ね(嘘)」


ま、確かに後に自分が市場概況とか見通しを定期的に書かされる側に回った時は「面倒やな。。」と思った。この時の経験があるから決してこうした態度は取ってないはずだが。。


そんなこともあって、自分がFMになる道のりはまだまだ果てしないように思えた。ただし一方でバブル真っ只中ということもあって、またぞろ1ヵ月間業務を離れて野村マネジメントスクール(ファンドマネージャー養成カリキュラム)に行かせてもらってもいて、FM着任への基礎を築き上げていた(はず)。そしてその夏、日本株のチーフFMが変わった。


それまでの日本株チーフは曲者揃いの中では気さくな良い人であったが、運用はとにかく大胆。今でも記憶にあるのは100億の新規ファンドを1日で買い付けたが、その中身は新日鉄50億、三菱重工50億。ザッツイット。その頃のバブル相場を象徴する「鉄が舞い、船が飛ぶ」を寸分違うことなく体現していた。発注はすべて大七証券(who?)。すべての裁量は属人的であり、それゆえバブル膨張時は高パフォーマンスをキープしていた人だったが、バーラなどリスク計測ツールがようやく走り始めた頃だったので、少しづつ居場所が狭まっていたのかもしれない。


我々世代のFMはいわゆる「師匠筋」とつながっていることが多い。新チーフは人心一新を図り、あっという間に私をファンドマネージャーの道に導いてくれ、師匠として何の経験もない若造の面倒を見て頂いた。既に引退され古希を迎えた今でも折に触れご挨拶させてもらっているが、こうした関係は前時代的でとても貴重だと思っている。


それはともかく、日経平均38916円最高値の翌日1990年1月、私のFM人生が始まった。と言ってもすぐ売買させてもらえる訳はないし、一方で手取り足取り教えてもらうでもなく、最初は師匠の隣での盗み見が主な業務だった。


師匠は来る日も来る日も新日鉄と三菱重工を売っていた。前述の100億ファンドは氷山の一角であり、運用部全体での保有株数はすぐに処分出来るものでは到底なかったのだ。急落の中で出来高は細り続け、値を崩し過ぎぬよう雨の日も風の日も売り、完了するのに一か月半ほどかかった。その姿はファンドマネージャーというより読経を続ける修行僧のようであった。

少し経つと私も自らの判断で銘柄選択を許されるようになった。最初に「3つ選んで来い」と言われて提示したのが確か三和シャッター、豊田工機、牧野フライスだったと記憶しているが、「何か地味なデビューだな。。」と指摘されたような気がする。それでも私の気持ちはこれから相場に立ち向かっていくエネルギーに満ち満ちていた。


しかしそんなスタートを切ったのも束の間、信じられない事が起こった。人事部への異動を命じられたのである。FMになってから僅か9カ月しか経っていなかった。


 
 
 

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